杉並区西荻窪で入れ歯治療を数多く手がける歯医者
いとう歯科医院の伊藤高史です。
「もう、こうなったら神さまに頼るしかない」
小説を読んで、あのころの気持ちを久しぶりに思い出しました。
その小説とは「護持院原の敵討」
(ごじいんがはらのかたきうち、森鴎外著、新潮文庫)。
私にとっては非常に難解で、 インターネットで解説や書評を調べながら行きつ戻りつ読み進めて、やっとのことで多少の理解を得ることができました。
江戸時代の話です。
強盗に斬られた金庫番の男性が亡くなりました。
犯人は江戸から逃げたらしい。
金庫番の息子の宇平(うへい)と弟の九郎右衛門(宇平から見ると叔父くろうえもん)、従者の3人が敵討ちの許可を得て敵を捜し歩きます。
江戸を出て四国九州まで巡る旅は病苦や資金難で過酷です。
読みながらこの旅路に強く共感していました。
なぜなら自分も人を捜し歩く同じような経験をしたからです。
ただし捜したのは敵ではなく結婚相手です。
結婚する前に私は結婚相談所に登録して見合いを重ねていました。
面倒見の良い相談所で、今っぽい清潔感ある服装のチョイス、オシャレで気分のあがるレストラン、楽しい雰囲気になる会話についてなど、よく教えてくれました。
30才すぎて女性とまともに付き合ったことがなかったので、自分でもデート向けのレストランの本やモテるための会話法の本などを読みあさりました。
しかし…
結果が出ない。
・2か月も会い続けたのに険悪な雰囲気になり断念せざるを得なかった。
・なぜか2回目のデートにつながらないことが続いた。
・宗教の勧誘をされたなど。
11人の方と見合いしてデートはそれなりに楽しかったもののご縁がなく、2年ほど経ってあきらめムードになってきました。
そんなある日に見合いとは別のきっかけで知り合ったB子さんから
「伊藤さん、だれかいい人を紹介してよ」
と相談されました。
私じゃダメというのが引っかかりましたが自分は見合いでこれからも女性と会う機会はいくらでもあります。
ここはB子さんのために動こう。
そう割りきって考えて、互いに人を連れてくることで後日に2対2で会うことになりました。
自分は別にその出会いに何も期待していません。
B子さんに良い出会いを提供できて、自分はその場を楽しく過ごせればいいかと。
そこへB子さんが連れてきたのが、後に妻となる女性でした。
見合いで万策尽き果てたと思っていた私は、女性たちに見合いしている話をして
「もう、こうなったら神さまに頼るしかないと考えている」
と打ち明けました。
すると二人は口をそろえて言います。
「それなら、いい手相占いの先生いるよ!」
わらをもすがる思いで教えてもらい、さっそく予約を取りました。
テレビ出演のご経験もある著名な先生です。
先生は私の手を見るなり言うのです。
「あなたはもうすぐ結婚しますよ」
手相にそのような印が出ていたそうです。
その予言どおり1年後に私たちは結婚しました。
今でも私が妻に頭があがらないのは、このできごと以来
「もしかしてこの人って神さま?」
という思いがあるからです。
小説で、旅の苦しさから宇平は言います。
「おじさん、あなたはいつ敵に会えると思っていますか?」
これは成功するかどうかに対する疑問です。
こんなことをしても、どうしようもない。
会えるかもわからないのに捜してもしようがない。
これは婚活も同じです。
努力が必ずしも成功につながらない。
結婚相談所のホームページを見ると千人以上の女性が載っています。
そこから一人の結婚相手を見つける。
広大な砂浜で一粒の砂を探すに等しい。
もしかしたらその千人の誰とも赤い糸などつながっていないのかも知れません。
それは日本全国から敵討ちの一人を捜すのと同じです。
部分入れ歯を作る費用は保険治療3割負担の方で総額約1~2万円
「あなたはいつ結婚相手に会えると思っていますか?」
私は見合いしていた2年間ずっとそんな重い疑問が頭から離れませんでした。
「おじさん、あなたは神や仏が助けてくれるものだと思っていますか?」
これは神仏の加護に対する疑問です。
私は信仰の薄いタチで神仏の加護など縁がないと思っていたのですが、結婚できたのは占いの人智を越えた力が後押ししてくれたからと考えるようになりました。
それからは妻の勧めで一緒にお墓参りに毎月行っています。
実際にはお墓参りの後に行くファミレスを子どもが楽しみにしているからなのですが、信心もまずは形から入ることにしました。
さらに宇平は続けます。
「敵はにくい奴ですから、もういちど会ったらひどい目に合わせてやります。だが捜すのも待つのも無駄ですから、出会うまではあいつのことなんか考えずにいます。私は晴れがましい敵討ちをしようとは思いませんから、助太刀もいりません」
これは敵討ち制度そのものに疑問を投げかけて強がっているところです。
宇平が言うように敵討ちとは成功の見込みに乏しい反面、己の全存在を賭けて行なわなければならない。
果たしてそんなことに値するものなのか、人は何を支えにしてこの過酷な試練に耐えねばならぬのか。
結婚も同じです。
未婚率も上昇していて世間体も今はさほど気にしなくて大丈夫になっています。
ですから結婚とは必ず成し遂げなくてはならないもの、というわけではありません。
ずっと昔の話、私たちの親くらいの時代には、人の紹介で顔合わせして2回目に会うのはもう結婚式場。
そんな見合い結婚がありました。
今となっては、それはもう特殊なものでしょう。
私のように学生時代にも職場にもご縁がなく結婚しようとしたら、婚活とは成功の見込みに乏しい反面、いいかげんな人間と結婚したい女性などいないでしょうから、やはり己の全存在を賭けて行なわなければならないものでした。
小説には宇平のそんな弱気になり離脱しそうな雰囲気を察知した九郎右衛門の言葉が書かれます。
「…武運が拙くて、神にも仏にも見放されたら、お前の言うとおりだろう。
しかし人間はそうしたものではない。腰がたてば歩いて捜す。病気になれば寝ていて待つ。神仏の加護があれば敵にはいつか会える」
そう言ってあちらこちらを捜索しては九郎右衛門はその土地の神社へ参詣してきました。
そんな中で耐えきれなくなった宇平はもうやめると宣言し、いなくなってしまいました。
しかしその直後に九郎右衛門は霊験あらたかだと評判される玉造豊空稲荷の話を聞きます。
次の日に神主を通して神さまにお伺いをたてたのです。そのご託宣は…
「尋ね人は春頃から東国の繁華な土地にいる」
とすれば犯人は江戸に舞い戻ったことになります。
にわかには信じられなかったものの本当に江戸にいることがわかり急転直下、敵討ちに成功しました。
森鴎外がこの小説を書いた時代は、敵討ちを扱った忠臣蔵がもてはやされて美徳とされていました。
いっぽうでこの小説にはこの敵討ちについて賛美することはまったく書いていません。
むしろそんな空しい目的に黙々と向かっていく苦難に満ちた毎日を淡々と描いています。
鴎外が書いたのは敵討ち自体ではなく、それに関わる人びとのひたむきな生き方から浮かび上がる献身の美でした。
敵討ちをする人びとの内面に立ち入ることで、つらいことに立ち向かい、それを乗りこえようとする、その心理を追います。
そしてそこに人間として時代を越えた変わらない感情を描きました。
その変わらない感情とは、人間は忠義とか愛国とかいった外面的な動機ではなく
「人間としてこうありたい」
という内面からあふれでる強い想いにもとづいて行動する。
そのような思いを込めて鴎外はこの小説を書いたのだろうとインターネットでわかりやすく書評されていました。
「結婚とは果たしてそんなことに値するものなのか、人は何を支えにしてこの過酷な試練に耐えねばならぬのか」
もし見合いをしている最中の私がそう聞かれたとしたら、このように答えたでしょう。
「それは結婚したいと内面からあふれでる強い想いがあるから」と。
私が行なっている歯科においても
「お金持ちになりたいから」
「人よりエラくなりたいから」
など外面的な動機で歯医者が治療しているとしたら、患者さんに迷惑をかけるだけです。
敵討ちを果たした九郎右衛門のように、あるいは妻と初めて出逢って即座に行動に移したあの時の自分のように
「歯医者としてこうありたい」
という内面からあふれでる強い想いにもとづいて治療をするから…人も神仏も味方となって治療を成功に導いてくれるのでしょう。
もっとも広大な砂浜で一粒の砂を探すに等しい、そんな正解のわからない症例に対して
「もう、こうなったら神さまに頼るしかない」
ではさすがに困ります。
難しい治療にこそ立ち向かい乗りこえようとする、ひたむきな献身を忘れない。
そのためにこれからも自らの内面を見つめながら勉強し、患者さんと家族を大切にしていきます。
参考文献:
「護持院原の敵討:鴎外、忠君愛国思想を斬る」https://japanese.hix05.com/Literature/Ogai/ogai05.gojiinhara.html
「詩ごとのbrog」https://ameblo.jp/buk105/entry-12342102331.html