
「どこに行っても…」
ハア~、と深くため息をつくのは60代女性のNさん。
ため息の原因は、歯医者から告げられる高額な自費治療です。
みぎ下の奥から2番目の歯、前から数えると6番目の大臼歯が抜けているNさん。
学術的には、なくても生活に影響ないとされます。
大臼歯6番7番がない状態のことを「短縮歯列」といいます。
もう一本、前から5番目の小臼歯がなくなると入れ歯などの形で歯の形を回復させることが必須となります。
食事が上手く摂れない、下アゴの位置が定まらず顎関節が悪化する、発音への影響などの原因となるからです。
短縮歯列ならそのような症状を起こすことは少ないです。
だから短縮歯列に対して、大臼歯を補う入れ歯を作ることには慎重になった方がいい。
なぜ慎重になったほうが良いかというと、せっかく入れ歯を作っても使えないことがあるからです。
これは歯医者の技術の問題ではありません。
このような部位に入れる入れ歯というと1~2本分の小さな入れ歯になります。
「小さい入れ歯だから簡単」
…ではありません。
これが3本分以上の大きな入れ歯ならば、ある意味で言うと逆に簡単です。
なぜならば3本以上の歯を失うと先ほど説明したように生活に支障が出るから。
入れ歯が必ず必要となるからです。
多少の違和感などは乗り越えて、入れ歯を使う方が調子がいい。
そうなるので患者さんが受け入れてくれるからです。
ところが1~2本分の入れ歯とは「必ずしも必要とはいえない」という類いのものです。
たとえ患者さんが「入れ歯を入れたい」とおっしゃったとしても
「イコール必要」
「それなら上手くいく」
わけではありません。
入れ歯を入れたい、という言葉は頭の表面だけで考えて言っているだけという可能性があります。
ところが入れ歯を口の中に入れておくのは、ほぼ24時間です。
実際に入れてみたときに
「あのとき入れ歯を入れたいとは言ってみたものの、実際に入れてみると違和感すごい」
そうなる可能性は否定できないものです。
違和感を「痛い」と表現される方もいます。
入れ歯の尖りが原因の傷などできていないのに痛いとおっしゃるので、これは身体がイヤがっているという信号です。
そのような場合に対して、どう対応するか?

保険治療で、痛い入れ歯も調整できます
答えは
「入れ歯をあきらめる」
です。
口では「入れ歯を入れたい」と言ってみたものの実際に入れてみたらイヤだった。
これは深層心理でイヤがっていることですし、元来必要ないものを入れていることもあるわけです。
だから入れ歯を入れること自体が無理、と考えた方が自然です。
このような話に実は科学的根拠はありません。
たとえば、どのような場合に一本義歯が使えて、どんな条件だと使えないか、とか数値的な違いを出して論文にすることは不可能だと思います。
自分が調べた限りでは、そのような論文を見つけることはできませんでした。
だから1~2本分の入れ歯を作るのは慎重におこなっています。
「慎重におこなう」とはどういうことかと言いますと、先ほど述べたような理由で全く使えない可能性があると説明することです。
当院では
「1~2本分の小さな入れ歯を入れる方へ」
という小冊子をお渡しして
「それでも入れてみるつもりならば」
と割り切っていただいた上で作製するようにしています。
さすがにそこまで行なうようになってからは1~2本分の入れ歯に関するトラブルは減りました。
ですから
「1~2本分の入れ歯こそ難しい」
と認識していただけると幸いです。
またそのように使えるかどうか分からない物こそ
「試しに保険治療で作ってみる」
ことです。
状況を分かって
「使えないかもしれないけれど試しに作ってみる」
という物に数千円ならば仮に上手くいかなくても
「まあしょうがない」
とあきらめがつくと思います。
仮に100万円かけたとしても使えないものは使えません。
巷の歯科医院において、そのようなトラブルの話はよく耳にします。
さて、そのような経緯を経てNさんは、みぎ下6番目の歯を補う一本義歯を作製することになりました。
当院では、このような奥歯の小さな「難しい」入れ歯は歯医者が自分で作製します。
そのような手間暇、時間かけることを小ばかにする歯医者はいます。
自分は手を動かさずプロデューサー気どりのセンセが、そういうことを言いがちです。
一般的には専門の歯科技工所に模型だけ渡して作ってもらいます。
しかしそうすると、もし上手くいかないときに
「なぜ上手くいかないのか」
がわかりません。
なぜ小ばかにされながらも自分で作るか、というと
「そういえばここが難しかったな」とか
「難しそうだから、ここを工夫して作ってみよう」とか
考えて作ることになります。
そうすると入れ歯を装着することにも、より多くのことに注意し気づくことができるようになります。
入れ歯を歯医者が自分で作る手間暇、時間はそのように他の歯医者では気づかないような点に気づくことができて、より「治療成功」という形で帰ってきます。
それは患者さんのためになるに違いないと確信しているからです。

痛い入れ歯の調整の費用は保険治療3割負担の方で約1,000円~2,000円
口の中の型をとって石こう模型を作製。
両隣りの歯に引っかける金属バネ(クラスプ)を歯医者がワイヤーを屈曲して自分で作製。
粉と液を混ぜると硬化する歯科用プラスチックでまず入れ歯のピンク色のボディの部分(床)だけを作ります。
こうしてできた入れ歯を口の中に装着してみますが「困難その2」が起こりました。
模型上ではピッタリと合っていた入れ歯ですが、なぜか口の中に全く入らない。
何かが引っ掛かっているのです。
原因は歯の豊隆です。
多くの歯は樽のように歯の真ん中が膨らんで上下は すぼまっています。
クラスプが真ん中の膨らみをゆるやかに乗り越えてスポンとは入れば良いのですが、クラスプがその膨らみを乗り越えることができません。
クラスプの角度を調整してみたものの入りません。
そこで患者さんの了承を得てクラスプのひっかかる歯を削ることにしました。
噛む力で摩耗した歯は豊隆が不自然で、真ん中が膨らむというよりも鋭く尖っています。
これではクラスプが入らないはずです。
削ってなだらかな曲面にしたところスムーズに着脱できるようになりました。
これがもう少し大きな入れ歯だったら、多少は歯に尖りがあっても入れ歯がねじれるようにして入ることができます。
しかし小さい入れ歯だと、ねじれることもできません。
このようにしてまずは床だけを装着して1週間使っていただきます。
上下での咬み合わせはナシです。
床だけの入れ歯でも歯グキとぶつかって傷ができることがあります。
まずはその痛みがないかどうかの確認です。
その場合の痛みとは、普段は何ともないけれど食事すると痛い、というもの。
最初から上下で咬み合わせてしまうと、咬む力のせいで痛いのか、床の形が悪くて痛いのかが分からなくなってしまいます。
だから最初は床だけ装着するわけです。
1週間後に来院されたNさんは痛みもなく順調に使っていました。
実は上下の咬み合わせがなくても床があるだけで食事がしやすくなります。
それで入れ歯を気に入って使ってくださっていました。
順調なのが確認できたので今度は床の上に歯の色の白いプラスチックを盛って噛んでもらいます。
すると咬み跡がついて上下で咀嚼できるようになります。
再び1週間後に来院されて
「これは良いですね。食事しやすくなりました」
と笑顔で報告してくださいました。
今回行なった入れ歯を作る治療は通院回数4回。費用は保険治療3割負担で総額約8,000円でした(症状や治療部位によって金額は変わります)。







