「入れ歯がカパカパになっちゃって食べられなくなっちゃった」
そうおっしゃるのは80代男性のRさん。
歯がなくて上下とも総入れ歯を使っています。
3年ほど入れ歯と歯グキの接するピンク色の面に歯科専用の入れ歯安定材ティッシュコンディショナーを貼り替えながら使い続けていました。
ティッシュコンディショナーは柔らかさがある程度持続し、歯グキとの適合の良い優れた材料です。
ただし劣化する欠点があります。
1か月も経たないうちにペリペリと剥がれてしまったり変形してボソボソになって歯グキを傷つけたりします。
人によっては半年くらい経っても
「あ、大丈夫っす、順調です」
と使える人もいます。
個人差の大きい材料ではあります。
とはいえ何年にも渡って入れ歯を使い続けようとしたら何回か貼り替えが必要です。
劣化したティッシュコンディショナーを削って新しいティッシュコンディショナーを貼るのですが、どうしても劣化した部分を削るときに元の入れ歯も削ることになります。
すると入れ歯の強度が心配になってきます。
そこで時にはティッシュコンディショナーでなく、硬化するとプラスチック状に硬化するリベース材を貼ります。
この治療法はリラインといいます。
そうすると入れ歯の補強になります。
こちらの材料はティッシュコンディショナーと比べると適合は若干劣るかな、というのが私の個人的な感想です。
劣るという論文やデータは存在しないと思います。
またリベース材にも欠点があります。
それは痛くなる可能性があること。
ティッシュコンディショナーを貼った後に痛くなることは、咬み合わせが間違っているとか分厚く貼ったとか致命的なミスでもしない限りは起こらないものです。
しかしリライン後は、材料が硬化したときに尖りが歯グキを傷つけて痛みを起こすことがあります。
ですからリライン後に
「普段は大丈夫だけど、食事すると痛い」
という症状が出たら治療が必要です。
保険治療で入れ歯調整できます
もっともその治療は、さほど難しくありません。
痛みを起こしているのは歯グキの傷です。
多くの場合は目視できます。
だいたい直径1~3ミリ大の赤や白の小さな潰瘍状です。
だからその口の中の傷に白いペーストを付けて入れ歯を装着します。
入れ歯を外すと白いペーストが入れ歯に転写されるので、そこを削ると解決します。
このように数週間~数か月おきにティッシュコンディショナーとリベースを貼り替え続けていたRさんの総入れ歯でした。
しかし今回はさすがにもう入れ歯が限界。
ティッシュコンディショナーを貼ってみたものの、あまりに古い入れ歯だと、ちゃんと貼りつかなかったりします。
また入れ歯が歯グキと接する面だけでなく上下の咬み合わせも磨耗が著しくなっています。
いつもは1~2回の治療で
「あ、これは調子よくなった。また使ってみますね~」
などという感じで終わっていました。
しかし今回はそれで終わってしまうわけにはいきません。
上下とも新しく総入れ歯を作りかえることにしました。
1年くらいポカンと来院が途絶えることが珍しくなりRさんでしたが、新しく入れ歯を作る説明をしたところ毎週キチンと通ってくださいました。
入れ歯を作る途中でポカンと期間が空くと精度が悪くなったりします。
当院に通ってくださる患者さんはみなさん誠実に対応してくださるので本当に感謝しています。
ちなみに、ただやみくもに作っても失敗します。
まず上下ともティッシュコンディショナーを貼ります。
ティッシュコンディショナーを貼ることで接する歯グキの歪みを取り除き良好な状態にします。
実はこれがティッシュコンディショナーの本来の目的です。
歯グキを良好にしてから入れ歯を作製したりリラインしたりすることで、より合った入れ歯にできるのです。
もう一つ大事なのは上下の咬み合わせ。
咬み合わせがすり減ると、口を閉じた時にくちびるが「ヘ」の字になるので分かります。
そこでティッシュコンディショナーで
入れ歯と歯グキを安定させたら咬み合わせの回復です。
入れ歯の噛む面に歯科用のワックスを貼ります。
厚さ1.5ミリほどの規格化されたワックスを貼ることで咬み合わせが1.5ミリ高くなります。
また不均衡な咬み合わせを均等に整えることができます。
前歯から奥歯まで、歯の先端を結ぶと平面ができます。
それを咬合平面といいます。
この咬合平面は、鼻の穴と両耳の穴を結んだ平面であるカンペル平面と平行しています。
その咬合平面を平らに整えることが安定した入れ歯には必要です。
そこでまず上の入れ歯の咬み合わせを平面を整えつつ高くすると
「あっ、これならよく噛めますね」
Rさんは笑顔です。
咬み合わせを高くすると顔が変わります。
少し昔に「クシャおじさん」という歯のない人の顔をテレビに出演していたのですが、あんな感じだったのが若々しい面長な顔貌になります。
とはいえ上下とも歯の磨耗が著しいので改善しているとはいえ、まだくちびるがへの字です。
そこで次に下の入れ歯で咬み合わせを高くすることにします。
入れ歯に歯科専用の入れ歯安定剤を貼る治療の費用は保険治療3割負担の方で総額約2,000~4,000円
しかしこちらはダメだった。
ワックスを貼った入れ歯を口の中に入れると
「あっ、ダメダメ。これはちょっと高すぎます」
とRさん。
口の中の1.5ミリは大変大きな変化です。
こちらは受け入れられず。
とはいえこれは失敗ではありません。
上を高くした咬み合わせがRさんにとって適切な咬み合わせだったということです。
下の入れ歯まで咬み合わせを高くしてしまったら、それは高すぎることが分かったということ。
それならその咬み合わせで入れ歯を新しく作れば良い。
よく「新しく入れ歯を作ったら全然使えない」という患者さんの話をお聞きすることがあります。
それは色々の原因がありますが咬み合わせが変わってしまったからというのは大きな原因の一つです。
だからRさんの入れ歯はできるだけティッシュコンディショナー、リライン、修理で粘りました。
作りかえるのは慎重に行なう必要があるからです。
・アゴが小さい
・咬み合わせが低い
どちらも当てはまるRさんは、とくに注意が必要です。
そこで今回は型をとって石こう模型を作製してから上下咬み合わせを決めるのに工夫をしました。
それは
「現在使っている入れ歯と石こう模型を合わせて上下の咬み合わせを決める」
というもの。
入れ歯を作るときは上下の模型を合わせて歯並び、咬み合わせを決める必要があります。
その際に多くの歯医者は模型を元にワックス製の仮の入れ歯を作って、それで上下の咬み合わせを決定します。
ところがワックスの固さや性状のせいで咬み合わせの位置に大きく誤差が出ます。
先ほど1.5ミリの差で「ダメダメ」となりました。
現在使っている入れ歯の咬み合わせとワックスで決定する咬み合わせとでは1.5ミリどころではない誤差が出ることも珍しくありません。
とくに変に力が入ってしまい下アゴが前に出た咬み合わせになりがちです。
仮にこの方法で入れ歯を作ったら、絶対に使えません。
そのような理由から、現在使っている入れ歯と模型を合わせて咬み合わせを決める手法を当院では、よく行ないます。
石こう模型と入れ歯が必ずしもピッタリ合うわけではありません。
でもその誤差は後から修正するのも簡単です。
下の入れ歯の咬み合わせは普通の人より低いものの、Rさんにはよく合っています。
「あっ、これしていますピッタリしていますね~」
新しい入れ歯を入れたRさんは笑顔で答えてくださいました。
新しい入れ歯を入れて3日後に歯グキとの適合具合の調整をして治療終了になりました。
これならば安心して長く使えますね。
今回行なったRさんの上下とも総入れ歯を調整してから新しく作りかえる治療は、通院回数15回。費用は保険治療1割負担で総額約1万2千円でした(費用は症状などにより変わります)。