
「3か月経ったので定期的な調整で」
とのことで来院されたのは80代男性のTさん。
律儀に3か月ごとにいらっしゃいます。
10年以上前まで記録を遡っても作製した記録がありませんでした。
もっと前に当院で作製した入れ歯です。
なぜ分かるかと言うと上の入れ歯の上あご部分に保険治療でできる金属製の補強床が入っているからです。
この補強床とは、私も父から教わって初めて知った材料です。
他の歯科医院の作品でお目にかかることは、まずないと思われます。
高額な自費治療で用いられる、いわゆる金属床入れ歯は見た目はカッコいいのですが長い目で見ると色々と問題を起こす作品です。
たとえば金属部分が歯グキと当たって傷を作ってしまう場合にプラスチックなら遠慮なく削ることができます。
しかし金属を削ると入れ歯が折れてしまう構造になっていることがあります。
すると保険治療の入れ歯なら簡単に治せるのにような治療すらできません。
他にも致命的な欠点がいくつもあります。
金属床など高額な自費治療について、他の歯医者のホームページではあまり出てこない話については、当院のホームページや他のブログでもたくさん書いています。
だからここではこれ以上は割愛させていただきます。
上の入れ歯は、この保険治療の補強床のおかげもあって10年以上も使えているので自費治療に負けない力を備えていると考えて良いのでしょう。
いっぽう下の入れ歯は、元々は残っている歯がある部分入れ歯でした。
歯が抜けると、抜けた部分にブラスチック製人工歯を継ぎ足す「増歯修理」を繰り返して、最終的には残っている歯が一本もない総入れ歯となりました。
多くの場合は部分入れ歯から総入れ歯になると不適合が著しくなって使いにくくなります。
だから新しく総入れ歯を作ることが多いです。
しかしTさんは作り替えずそのまま使っていました。
それはもちろん増歯したツギハギだらけの入れ歯を見れば経緯がよくわかります。
もっとも下が総入れ歯になったのも私が当院で治療をし始める前の話です。
当院では10年分はカルテを保存しています。
10年以上も来院のなかった患者さんのカルテはシュレッダーをかけてしまいます。
しかしTさんの場合は来院が定期的に何十年も続いています。
一冊の本のような分厚いカルテの束になっています。
10年以上前の記録など処分しても良いのですが整理整頓がどうも苦手なので、そのまま積まれてしまうという。
それで20年分くらいは記録を遡れるものの下の入れ歯に増歯修理した記録も探してみたものの見つけることができませんでした。
そのような経緯で上下とも総入れ歯です。

保険治療で、痛い入れ歯も調整できます
ちなみにこの5年ほどの話ですが、歯科治療も
「入れ歯が合った、合わない」
みたいなフワッとした印象だけで判断するのでは、いかがなものかと言われるようになりました。
そこで検査をして正確な数値を出して、科学的根拠に基づいた治療をしましょうという流れになっています。
具体的には「口腔機能検査」を行ないます。
7項目の検査をして数値を元に治療をします。
さらにこの治療も「削る、詰める」だけの仕事だけでは不十分とされるようになっています。
入れ歯とは杖や車イスと同じ道具です。
道具を使いこなせるようにするために必要なのが「リハビリテーション」です。
だから治療の中にリハビリテーションの概念が導入されました。
入れ歯や口、舌、飲み込みや咀嚼の性能を口腔機能検査で計測し、その結果に基づいてリハビリテーションを継続的に行なっていく。
入れ歯の調整も、たとえるならば杖の長さや車イスの背もたれの角度を調整するようなリハビリテーションを円滑に進める目的で行なわれるわけです。
この口腔機能検査は保険治療でできます。
一つひとつの検査は、保険治療3割負担の方で500円くらいでできるものです。
当院ではこの口腔機能検査と、それに基づいた口腔リハビリテーション治療を積極的に行なっています。
そのようなことでTさんは、入れ歯の修理調整、口腔機能検査が保険治療に導入されてからは検査とリハビリテーションを行なって、ずっと調子の良さを保ってきました。
今回の入れ歯を拝見すると、生活に影響などはないとおっしゃるものの、入れ歯の奥歯がすり減っています。
身体のガッシリしたTさんは噛む力も強いです。
調整、修理してから3か月~半年も経つとプラスチック製人工歯がすり減ってしまいます。
そこで今回は入れ歯のすり減った咬み合わせを修理する治療をご提案しました。
これまでずっと定期的にすり減っては修理しています。
同じ治療をもう何回も行なっています。
そのようなことで治療の提案にすぐにご同意いただきました。
元気な方ですが遠方から介助者と来院されます。
年齢的にも体調的にも新しく作るのは避けた方が安全です。

多くの壊れた入れ歯は保険治療で1時間で修理できます
Tさんが総入れ歯となった経緯を書いてきました。
なぜ書いたのかというと、これほど長年に渡って使い続けている入れ歯を新しく作るのは大変難しいと言いたいからです。
「この入れ歯は、もはや身体の一部ですね」
とTさんはおっしゃいます。
本当にその通りです。
ツギハギだらけではありますし、修理を繰り返している影響で入れ歯の厚さが一般的なものの倍くらいあります。
しかし作り替えはまず上手くいかないです。
仮にTさんが使っているのが
「全然使えない!」
「やたらと壊れる」
「合わせてもすぐに合わなくなる」
こんな入れ歯なら調整修理しながら新しく作ることで良い入れ歯にすることが可能です。
しかし不自由なく使っている、3か月~半年くらいの適切な間隔での定期的な治療、リハビリテーションで快適に使えている。
壊れることもない。
そんな良好な入れ歯を捨てて新しく作るのは蛮勇とも言える行為です。
ぜひ良好な入れ歯を使い続けることをお勧めしますし、この文章を読んでいるあなたもそのような事を理解して対応してくれる歯医者に通われることを願っています。
そのようなことで今回のTさんについては、まずは簡単にできる治療から行なうのが鉄則です。
奥歯がすり減った面に、粉と液を混ぜると硬化する歯科用プラスチックを盛り足して噛んでもらいました。
簡易なものですがリスクが少なく簡単に咬み合わせを回復できます。
すり減った部分を補うだけなのでとくに技巧を要することはありません。
プラスチックが硬化するのを10分ほど待って、それから余計な部分を削って研磨したら完成。
治療としては簡単なものですが、意外と多くの歯医者は選ばない治療である可能性は高いです。
ロクに調整もしないで
「すぐに高額な自費治療の入れ歯を作りましょう!」
と提案されたとの話を患者さんからお聞きすることが多いからです。
でも新しく入れ歯を作るのは大きなリスクでもあることは覚えておいていただきたいと思います。
全部で20分ほどで修理できた入れ歯を入れたTさんは
「あっ、これはまたよく噛めますよ!」
とカチカチ噛んでからおっしゃってくださいました。
歯がすり減ったりして奥歯の咬み合わせが不正になるとカチカチ噛もうとしても音がしません。
グニュグニュといった咬み合わせになります。
それを修理することで奥歯の咬み合わせが良好になると「カチカチ」と澄んだ音が出ます。
気持ちよく噛めることで気持ちよく食事できるようになります。
3か月~半年ごとの入れ歯修理。
もう私の父の代から続けている治療でTさんの入れ歯は常に良好な状態を何十年も保てているのは私も本当にうれしいです。
今回行なったTさんの入れ歯を修理する治療は治療回数1回でできます。
費用は保険治療1割負担で総額約1,000円でした。
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