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■もしも日本が「目には目を」のハムラビ法典下だったら その1 歯科ブログ

西荻窪、入れ歯専門のいとう歯科医院、伊藤高史です。

■患者さんがアラブの王様!?


歯科医は覚悟が必要です。
たとえば、ある日アラブの王様が歯科医院に来て「成功したら油田をあげよう。そのかわり治療が失敗したら首を切ってしまうよ」と言われたら。
歯科医はそう言われても動じない覚悟が必要です。
いつもその心構えで治療しなさい。

…これは300万円の入れ歯治療をおこなっている、歯科医の業界でもとても権威のある先生の言葉です。

そんな事態になったら、切っても切っても首が生えてくる伝説の怪獣ヒドラにでもならない限り、私などは歯医者を続けられません。

権威のある先生の言葉には説得力があります。
首がひとつしかない私はとまどうばかり。

今の日本でリアルに首を切られることはありませんが、最近の医療過誤や医療訴訟のニュースやSNSなどの報道を見ると、まるで「ハムラビ法典下」と同じ状況で診療をしているようなものだとも言えます。
たとえ医療ミスではなくても、もし患者さんが「納得のできない治療をされた」と思われたら「目には目を」の状況に追い込まれます。
こうした現状のなかで医療をどうおこなうか、昔から議論されてきたことのようです。

以下、週刊医学界新聞の記事から引用
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医療過誤の歴史は医療とともに始まったといっても過言ではない。
医療は人間の成す営みであり、神ならぬ医療者が誤りを犯さぬはずはないからである。

世界最古の成文法ハムラビ法典はバビロン王朝遺跡から発掘されたが、紀元前18世紀に作成されたこのハムラビ法典に医療過誤を犯した医師に対する処罰がすでに規定されている。

同法典の第218条に「手術により患者が死亡した場合、あるいは腫瘍の切除に際し患者が眼を失った場合、医師の両手を切断するものとする」と書かれているが、バビロン王朝がこの条文を定めた理由が医師過剰の解消であったとは思えない。

このように医療者が誤りを犯す存在であることは歴史的には自明のことと認識されてきたのにもかかわらず、医療者は「医療者は誤りを犯す存在であってはならない」というドグマに囚われ「完璧」を求めることで医療過誤を防ごうと努めてきた。

いわば神ならぬ者が神になることによって医療過誤を防ごうという愚を繰り返してきたのであった。
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※ 週刊医学界新聞第2342号1999年6月14日 アメリカ医療の光と影
(7)医療過誤防止事始め
(1)李啓充(マサチューセッツ総合病院内分泌部門ハーバード大学助教授)

このような情報はあったものの、ハッキリと答えが書いてある資料を見つけることはできませんでした。

しかし「アラビアンナイト」の物語の中に、医師としての治療行為をどう、とらえればいいのか答えとなるヒントが隠されていました。

以下、千夜一夜物語のあらすじ
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昔々サーサーン朝(ササン朝ペルシャ)にシャフリヤールという王がいた。
ある時、王は妻の不貞を知り妻と相手の奴隷たちの首をはねて殺した。
女性不信となった王は街の生娘を宮殿に呼び一夜を過ごしては翌朝にはその首をはねた。
こうして街から次々と若い女性がいなくなっていった。

王の側近の大臣は困り果てたがその大臣の娘シェヘラザードが名乗り出て、これを止めるため王の元に嫁ぎ妻となった。
明日をも知れぬ中、シェヘラザードは命がけで毎夜、王に興味深い物語を語る。

話が佳境に入った所で「まだ途中」「続きは、また明日」そして「明日はもっと面白い」と話を打ち切る。
王は話の続きが聞きたくてシェヘラザードを殺さずに生かし続けて、ついにシェヘラザードは王の悪習を止めさせる。
※「千夜一夜物語」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%A4%9C%E4%B8%80%E5%A4%9C%E7%89%A9%E8%AA%9E(せんやいちやものがたり)はイスラム世界における説話集。ペルシャの王に妻が毎夜物語を語る形式を採る。英語版の題名より「アラビアンナイト」の名称でも広く知られている。「千一夜物語」ともいう。

以上が物語の大枠ですが、この結末の部分となっているこの王の悪習を止めさせたとする筋書は後世のヨーロッパ人が追加したものです。

1704年に「アラビアンナイト」を初めてヨーロッパに紹介したアントワーヌ・ガランが翻訳に使用したアラビア語の写本にはこの結末はありません。

そこには282夜の話があるだけです。