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■麻酔科で救われた、あの一言 歯科ブログ

「いとう君、レーザーお願いね」
歯科大学を卒業して1年目の私が、毎日午後3時に指導医から声をかけられる仕事。
それは入院している患者さんの顔にレーザーを当てる治療でした。

歯科医師になったばかりのころ、国営の病院に勤務していました。
その中で3か月間、歯科ではなく医科の麻酔科で研修を受けたことがあります。
ガンや脳腫瘍など外科手術の全身麻酔を指導医の監督の元で行いました。
器具の準備やアシスト、点滴や採血、肺に酸素や麻酔薬を送る管を口から入れる気管内送管も教わりました。

手術中に必要な薬を血管から注入したり血圧や血中の酸素濃度を5分ごとに記録したりする患者管理は麻酔科の役目。
安全で正確なオペのために一瞬たりとも気を抜くことはできません。
多くのオペに立ち会い、医師として人の体を管理する大変さや尊さを学びました。
とても貴重な体験でした。

麻酔科にはもうひとつ重要な役割があります。
痛みの治療です。
たとえば頭や首の痛みに対して、首の神経に麻酔の注射をする星状神経節ブロック治療は麻酔科の分野です。

そして星状神経節ブロックと併用して、顔の神経にソフトレーザーをピンポイントで照射する治療も麻酔科が担当します。
1か所に3分間のレーザー照射をしたら1分間機械を休ませます。
この処置を10か所ほど行います。
単純な作業ですがひとりの患者さんに40分ほどかかります。

はじめは指導医と一緒だったレーザー治療ですが、いつの間にかひとりで病室に行くようになっていました。
もしかしたら、私など全身麻酔の足手まといになるだけなので、レーザーなら重大な危険もないからできるだろうという配慮(厄介ばらい)だったのかも知れません。
今となっては確かめようもありませんし、歯科大学を卒業したばかりの未熟者に仕事を与えてくださるだけでもありがたいことでした。

レーザーを当てる40分間は患者さんにつきっきりです。
何日か治療を続けていくうちに70代女性のUさんと仲良くなり、いろいろと雑談を交わすようになりました。
教員をしていた話や、離婚を経験したり、親の介護に忙殺されたり、子育てで苦労した話を聞いていると時間の経つのが早かった。

年末、いつものように病室に入ると部屋の真ん中に大きなみかん箱が置いてありました。
Uさんは私の顔を見るとニッコリ笑って「先生にあげるよ」と、みかんを一箱プレゼントしてくれたのです。
治療を終えて、両手で抱えて持ち帰って麻酔科のみんなで分けました。

「いとう君はすごいね」
面倒見がよくていつも的確に指導してくださる指導員のM先生は箱からみかんを取り出すと、私をほめてくれた。
尊敬しているM先生に突然ほめられて戸惑いを隠せなかった。
いったい何をほめてくれたんだろう。麻酔の腕でないことだけは確かです。

実は、M先生はレーザー治療の時に患者さんと話すことがないからと、レーザーの機械を休ませる1分間のたびに病室の外へ出ていたそうです。
毎日40分も話すなどM先生は想像もつかなかったとのことでした。

「君は臨床に向いてるよ」
臨床とは直接、患者さんと対面して診察や治療を行うことです。
あの日のM先生の言葉を今でもハッキリ覚えています。

大学を卒業したばかりの新米の歯科医師には自信はなかった。
現場に出ると教科書と臨床はまったく違います。
思ったようには手が動かないこともありました。
自分では気がつかないミスを指摘され、そのたびに「なぜこんなことで怒られるんだろう」と何もできずに打ちひしがれる日々を過ごしていました。

私は医者に向いていないかもしれない。
そんな状況の中で言われたM先生の「君や臨床に向いているよ」の言葉は心が折れそうだった自分にとって大きな支えになっていました。

あれから20年以上の月日が経ちました。
M先生の言葉どおり、歯科医師として患者さんと顔を合わせる臨床の日々はとても楽しく幸せです。