カテゴリー

・人のために入れ歯治療を一生懸命すれば、最後に神さまが助けてくれる話

杉並区西荻窪で入れ歯治療を数多く手がける歯医者
いとう歯科医院の伊藤高史です。

「もう、こうなったら神さまに頼るしかない」

小説を読んで、あのころの気持ちを久しぶりに思い出しました。
その小説とは「護持院原の敵討」
(ごじいんがはらのかたきうち、森鴎外著、新潮文庫)。

私にとっては非常に難解で、 インターネットで解説や書評を調べながら行きつ戻りつ読み進めて、やっとのことで多少の理解を得ることができました。

江戸時代の話です。

強盗に斬られた金庫番の男性が亡くなりました。
犯人は江戸から逃げたらしい。

金庫番の息子の宇平(うへい)と弟の九郎右衛門(宇平から見ると叔父くろうえもん)、従者の3人が敵討ちの許可を得て敵を捜し歩きます。
江戸を出て四国九州まで巡る旅は病苦や資金難で過酷です。

読みながらこの旅路に強く共感していました。

なぜなら自分も人を捜し歩く同じような経験をしたからです。

ただし捜したのは敵ではなく結婚相手です。

結婚する前に私は結婚相談所に登録して見合いを重ねていました。
面倒見の良い相談所で、今っぽい清潔感ある服装のチョイス、オシャレで気分のあがるレストラン、楽しい雰囲気になる会話についてなど、よく教えてくれました。

30才すぎて女性とまともに付き合ったことがなかったので、自分でもデート向けのレストランの本やモテるための会話法の本などを読みあさりました。

しかし…
結果が出ない。

・2か月も会い続けたのに険悪な雰囲気になり断念せざるを得なかった。
・なぜか2回目のデートにつながらないことが続いた。
・宗教の勧誘をされたなど。

11人の方と見合いしてデートはそれなりに楽しかったもののご縁がなく、2年ほど経ってあきらめムードになってきました。

そんなある日に見合いとは別のきっかけで知り合ったB子さんから
「伊藤さん、だれかいい人を紹介してよ」
と相談されました。

私じゃダメというのが引っかかりましたが自分は見合いでこれからも女性と会う機会はいくらでもあります。

ここはB子さんのために動こう。
そう割りきって考えて、互いに人を連れてくることで後日に2対2で会うことになりました。

自分は別にその出会いに何も期待していません。
B子さんに良い出会いを提供できて、自分はその場を楽しく過ごせればいいかと。

そこへB子さんが連れてきたのが、後に妻となる女性でした。

見合いで万策尽き果てたと思っていた私は、女性たちに見合いしている話をして
「もう、こうなったら神さまに頼るしかないと考えている」
と打ち明けました。

すると二人は口をそろえて言います。

「それなら、いい手相占いの先生いるよ!」

わらをもすがる思いで教えてもらい、さっそく予約を取りました。
テレビ出演のご経験もある著名な先生です。

先生は私の手を見るなり言うのです。

「あなたはもうすぐ結婚しますよ」

手相にそのような印が出ていたそうです。
その予言どおり1年後に私たちは結婚しました。

今でも私が妻に頭があがらないのは、このできごと以来

「もしかしてこの人って神さま?」

という思いがあるからです。

小説で、旅の苦しさから宇平は言います。

「おじさん、あなたはいつ敵に会えると思っていますか?」

これは成功するかどうかに対する疑問です。

こんなことをしても、どうしようもない。
会えるかもわからないのに捜してもしようがない。

これは婚活も同じです。
努力が必ずしも成功につながらない。

結婚相談所のホームページを見ると千人以上の女性が載っています。

そこから一人の結婚相手を見つける。
広大な砂浜で一粒の砂を探すに等しい。
もしかしたらその千人の誰とも赤い糸などつながっていないのかも知れません。
それは日本全国から敵討ちの一人を捜すのと同じです。

部分入れ歯を作る費用は保険治療3割負担の方で総額約1~2万円

「あなたはいつ結婚相手に会えると思っていますか?」
私は見合いしていた2年間ずっとそんな重い疑問が頭から離れませんでした。

「おじさん、あなたは神や仏が助けてくれるものだと思っていますか?」
これは神仏の加護に対する疑問です。

私は信仰の薄いタチで神仏の加護など縁がないと思っていたのですが、結婚できたのは占いの人智を越えた力が後押ししてくれたからと考えるようになりました。

それからは妻の勧めで一緒にお墓参りに毎月行っています。
実際にはお墓参りの後に行くファミレスを子どもが楽しみにしているからなのですが、信心もまずは形から入ることにしました。

さらに宇平は続けます。
「敵はにくい奴ですから、もういちど会ったらひどい目に合わせてやります。だが捜すのも待つのも無駄ですから、出会うまではあいつのことなんか考えずにいます。私は晴れがましい敵討ちをしようとは思いませんから、助太刀もいりません」

これは敵討ち制度そのものに疑問を投げかけて強がっているところです。
宇平が言うように敵討ちとは成功の見込みに乏しい反面、己の全存在を賭けて行なわなければならない。
果たしてそんなことに値するものなのか、人は何を支えにしてこの過酷な試練に耐えねばならぬのか。

結婚も同じです。

未婚率も上昇していて世間体も今はさほど気にしなくて大丈夫になっています。
ですから結婚とは必ず成し遂げなくてはならないもの、というわけではありません。

ずっと昔の話、私たちの親くらいの時代には、人の紹介で顔合わせして2回目に会うのはもう結婚式場。
そんな見合い結婚がありました。
今となっては、それはもう特殊なものでしょう。

私のように学生時代にも職場にもご縁がなく結婚しようとしたら、婚活とは成功の見込みに乏しい反面、いいかげんな人間と結婚したい女性などいないでしょうから、やはり己の全存在を賭けて行なわなければならないものでした。

小説には宇平のそんな弱気になり離脱しそうな雰囲気を察知した九郎右衛門の言葉が書かれます。

「…武運が拙くて、神にも仏にも見放されたら、お前の言うとおりだろう。
しかし人間はそうしたものではない。腰がたてば歩いて捜す。病気になれば寝ていて待つ。神仏の加護があれば敵にはいつか会える」

そう言ってあちらこちらを捜索しては九郎右衛門はその土地の神社へ参詣してきました。

そんな中で耐えきれなくなった宇平はもうやめると宣言し、いなくなってしまいました。

しかしその直後に九郎右衛門は霊験あらたかだと評判される玉造豊空稲荷の話を聞きます。
次の日に神主を通して神さまにお伺いをたてたのです。そのご託宣は…

「尋ね人は春頃から東国の繁華な土地にいる」

とすれば犯人は江戸に舞い戻ったことになります。
にわかには信じられなかったものの本当に江戸にいることがわかり急転直下、敵討ちに成功しました。

森鴎外がこの小説を書いた時代は、敵討ちを扱った忠臣蔵がもてはやされて美徳とされていました。
いっぽうでこの小説にはこの敵討ちについて賛美することはまったく書いていません。

むしろそんな空しい目的に黙々と向かっていく苦難に満ちた毎日を淡々と描いています。

鴎外が書いたのは敵討ち自体ではなく、それに関わる人びとのひたむきな生き方から浮かび上がる献身の美でした。

敵討ちをする人びとの内面に立ち入ることで、つらいことに立ち向かい、それを乗りこえようとする、その心理を追います。

そしてそこに人間として時代を越えた変わらない感情を描きました。

その変わらない感情とは、人間は忠義とか愛国とかいった外面的な動機ではなく

「人間としてこうありたい」

という内面からあふれでる強い想いにもとづいて行動する。

そのような思いを込めて鴎外はこの小説を書いたのだろうとインターネットでわかりやすく書評されていました。

「結婚とは果たしてそんなことに値するものなのか、人は何を支えにしてこの過酷な試練に耐えねばならぬのか」

もし見合いをしている最中の私がそう聞かれたとしたら、このように答えたでしょう。

「それは結婚したいと内面からあふれでる強い想いがあるから」と。

私が行なっている歯科においても
「お金持ちになりたいから」
「人よりエラくなりたいから」

など外面的な動機で歯医者が治療しているとしたら、患者さんに迷惑をかけるだけです。

敵討ちを果たした九郎右衛門のように、あるいは妻と初めて出逢って即座に行動に移したあの時の自分のように

「歯医者としてこうありたい」

という内面からあふれでる強い想いにもとづいて治療をするから…人も神仏も味方となって治療を成功に導いてくれるのでしょう。

もっとも広大な砂浜で一粒の砂を探すに等しい、そんな正解のわからない症例に対して
「もう、こうなったら神さまに頼るしかない」
ではさすがに困ります。

難しい治療にこそ立ち向かい乗りこえようとする、ひたむきな献身を忘れない。
そのためにこれからも自らの内面を見つめながら勉強し、患者さんと家族を大切にしていきます。

参考文献:
「護持院原の敵討:鴎外、忠君愛国思想を斬る」https://japanese.hix05.com/Literature/Ogai/ogai05.gojiinhara.html
「詩ごとのbrog」https://ameblo.jp/buk105/entry-12342102331.html

【関連記事】→診療理念「・いとう歯科にご縁がなくても健康と幸せを願う」


カテゴリー

・入れ歯の歯が大きすぎるので、形を削って修正して良い歯並びを作る治療を行ないました

杉並区、西荻窪で、保険の入れ歯治療を数多く手がける歯医者、いとう歯科医院の伊藤高史です。

オルタナティブブログに記事を載せました。
入れ歯の歯が大きすぎるので、形を削って修正して良い歯並びを作る治療を行ないました↓

https://blogs.itmedia.co.jp/ito_takafumi/2025/04/post_194.html

ホームページ掲載 すみ


カテゴリー

・これからは歯医者も、時代の飢餓感に感応するセンスが必要となりました

杉並区西荻窪で入れ歯治療を数多く手がける歯医者
いとう歯科医院の伊藤高史です。

歯医者も時代の飢餓感に感応するセンスが必要となりました。

「『言われてみてはじめてわかりました』とか、『わたしも実はそうだったのよ』という、死角に入っていた心のうめき、寒さ、これがつまり時代の飢餓感です。(中略)

この見えない飢餓にボールをぶっつけて、ああ、それそれといわせるのが歌なんですよ」

「津軽海峡冬景色」(石川さゆり)
「勝手にしやがれ」(沢田研二)
「気まぐれヴィーナス」(桜田淳子)
「ペッパー警部」「渚のシンドバッド」(ピンク・レディー)
「宇宙戦艦ヤマト」(ささきいさお)

など数々の大ヒット曲の作詞を手がけた阿久悠氏の言葉です。

(参考文献:「作詞家入門」阿久悠、岩波現代文庫)

この言葉に、「夫のトリセツ」「妻のトリセツ」など数々のベストセラーを持つ作家、黒川伊保子氏は

「洗濯物をたたみながら観ていたテレビ番組で出会って、胸を打たれ、しばし手を止めて、ぼうっとしてしまった」
とありました。

そしてこのことは映画、アート、著作、そして製品開発など、すべての表現に言えるのではないか。

と述べています。

(参考文献:「不機嫌のトリセツ」黒川伊保子著、河出新書)

読んでいて私もしばし本を読む手が止まってしまいました。
なぜならば

人々がまだ気づいていない
「時代の飢餓感」
に気づくこと。

そしてそんな時代の飢餓感にボールを当てて
「ああ、それそれ」
と言わせること。

これは歯科治療を行なう原点でもあることに自分も気がついたからです。

私は都心のデンタルクリニックに数軒ほど勤めていた時代に
「なんか子どもの頃のお医者さんのイメージと違うなあ」
と思ったものです。

保険治療でも、入れ歯はここまで治る

小学生の時によく中耳炎になっていました。
いつものかかりつけの耳鼻科に行くと

「おお、ターちゃん(私の愛称)また来たんだね」

と先生が簡単なあいさつをして診察。
薬を手渡されて母親が会計。
小銭をチャラチャラと先生に手渡します。

おまけで甘い味がするトローチをいただいて
「せんせい、さよなーら」
と手を振っておしまい。

母を見ても医療費とか気にした様子などなかったですし、ゼロがいくつあるのかわからない自費治療の見積書を耳鼻科医から手渡されたことなどありません。

都心の歯科医院においては百万円の治療を売りこむことが歯医者の主な仕事でした。

なんか歯医者だけ他のお医者さまとやってることが違うんじゃないの?

歯医者に必要なものとは、多少の手先の器用さ、ある程度の勉強ができることは当然です。

しかしそれらより大事なのは「時代の飢餓感」に感応するセンスなのだと阿久悠氏、黒川伊保子氏から教えられました。

脳は経験のない感覚は見えませんし聞くことができません。

脳が「時代の飢餓感」を感知するには「心のうめき、寒さ」を経験し知っていなければならない。

・お金持ちの名家に生まれました
・たっぷりと教育費をかけられた秀才として学生時代を過ごしました
・すこぶる健康で病気知らずでした
・何をやってもうまくいって大人になりました
・挫折? なあにそれ?

そんな育ち方をしたら、時代の飢餓感に感応できないことは明らかです。

残念なことに私を含め歯医者は上記のような恵まれた環境でぬくぬく育つ者がほとんどです。
おかげさまで親には感謝していますが。

とはいえ大学卒業して歯医者になったばかりのころは同じ歯医者である父親のやり方に疑問を感じていました。

・昔ながらのステンレス冠によるかぶせもの
・昔ながらのレントゲンなしの診療
・昔ながらの金属ワイヤーを曲げて作る部分入れ歯の金属バネ(クラスプ)。

大学で習った最新とされる治療と全く違うことをやっていたからです。
それで父に背を向けて、最新とされる歯科治療を修めようと都心のデンタルクリニックに勤めました。

ところが私はそこで初めて患者さんの「心のうめき、寒さ」を目の当たりにすることとなります。
私が感じとった患者さんの心のうめき、寒さとは

「歯医者だって内科とか病院とかと同じ医療なのだから、とにかく保険で治してほしい」

という、しごくもっともな事でした。
都心のデンタルクリニックで勤めるうちに私の心の中に、大金が必要な上に効果に疑問符がつく自費治療への不信感が芽ばえます。

つまり自分も患者さんと同じ心のうめき、寒さを持っていた。
だから感応できた。

そこで
「歯医者も内科や病院などと同じ医療だから、お金の心配なんかしなくて大丈夫ですから」

と言って保険治療を行うことで得られた反応が

「初めて歯医者でそんなことを言われました」
「言われてはじめてわかりました」
「わたしも実はそうだったのよ」

だったわけです。

それが原点となって当院は保険治療で入れ歯修理を特技としました。

保険治療で入れ歯と口の機能検査できます。隠れた不調がわかります

もちろん、これと真逆の考えで高額な自費治療を選ぶ患者さんもいると思います。

「保険治療だと3分治療の流れ作業でやられる。おかしくない?」
「ゴールドやセラミックのほうが良い気がするのに保険治療ではできないの?」
「金ならいくらでも出すからワタシを特別扱いしてほしい」

これはこれで時代の飢餓感ではあります。

だから一人ひとりにたっぷり時間をかけて高額な自費治療を行なう歯医者のもとに通う。

そのことを否定はしません。

どちらが正しいかではなく患者さんがどちらを選ぶかというだけのことです。

とはいえ数軒のデンタルクリニックに勤務したり歯医者のホームページなどを見たりしてわかったのは、多くの歯医者が高額な自費治療をやりたがっていることです。

スマホで検索すると自費治療自費治療自費治療の情報の山に埋もれて、保険治療に関する情報は一般の人からは見えない死角となってしまっています。

「初めて歯医者でそんなことを言われました」
「言われてはじめてわかりました」
「わたしも実はそうだったのよ」

という、まさに死角に入ってしまっている患者さんの心のうめき、寒さ。

そのようなものを拾い上げる視野の広さ、確実に見つける眼力。
時代の飢餓感を患者さんと共に感じて一緒に乗り越えていく姿勢。

もちろん阿久悠氏のように作る曲、投げるボールがみんな、どストライクの大ヒット。

そんな境地に自分が達するのはいつの日になることやら。

黒川伊保子氏が書いているみたいに、ぼうっとタメ息をつきながら見上げるしかないのが現状です。

だからこそ、せめて当院に来てくださる患者さんには、保険治療で入れ歯修理というボールを的確に当てていく努力をこれからも続けていこうと思います。

歯科の自費治療が高額な理由

歯科の自費治療が高額になるのは理由があります。

まず高度な材料と技術とされます。

自費治療では保険診療のように使用できる材料に制限がありません。
より高品質で審美性や機能性に優れた材料や最新の技術が用いられることが多いです。
これらの材料費や設備投資、そして高度な技術を持つ歯医者の専門知識や熟練した技術料が価格に反映されます。

とはいえ制限がないことが必ずしも良いことではありません。

治療方法が保険治療に収載されるには大規模で正確な研究、論文が求められます。
保険治療ならばそのような裏づけがあるわけです。

しかし自費治療に関しては、そのような研究論文は不要です。
だから科学的根拠がないのにテレビやメディアで持ち上げられて有名になったもののトラブルを起こして問題になるケースが後を絶たないです。
そのような問題ある自費治療は学会などで公式に注意を呼びかけていたりします。

一例
「ドックベストセメントについての見解」(日本歯科保存学会)
https://www.hozon.or.jp/file/news/250319.pdf

これからも情報収集して患者さんにとって最善の選択をしていきます。

【関連記事】→保険治療についての取り組み「3.初めていらっしゃる患者さんに高額でハイリスクな自費治療は行ないません」


カテゴリー

・5年前に作ったものの使っていなかった上の入れ歯を、修理して使えるようにした症例

杉並区、西荻窪で、保険の入れ歯治療を数多く手がける歯医者、いとう歯科医院の伊藤高史です。

オルタナティブブログに記事を載せました。
・5年前に作ったものの使っていなかった上の入れ歯を、修理して使えるようにした症例↓

https://blogs.itmedia.co.jp/ito_takafumi/2025/04/post_193.html

ホームページ掲載 すみ


カテゴリー

・西行や大伴家持、入れ歯を見習って、入れ歯治療を通じて口の中に極楽浄土を作りたい

杉並区西荻窪で入れ歯治療を数多く手がける歯医者
いとう歯科医院の伊藤高史です。

「嘆けとて 月やは物を おもはする 
かこち顔なる わがなみだかな」

百人一首にも歌を残している僧の西行(さいぎょう)1118年~1190年。
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての日本の武士、僧侶、歌人。

その西行の残した言葉を私は、胸を締め付けられる思いで読んでいました。

「世の中のありとあらゆるものは、すべて仮の姿であるから、花を歌っても現実の花と思わず、月を詠じても実際には月と思うことなく、ただ縁にしたがい興に乗じて詠んでいるにすぎない。

美しい虹がたなびけば虚空は一瞬にして彩られ、太陽が輝けば虚空が明るくなるのと同じである。

わたしもこの虚空のような心で、何物にもとらわれぬ自由な境地で、さまざまな風情を彩っているといっても、あとには何の痕跡も残さない。
それがほんとうの如来の姿というものだ。

それ故わたしは一首詠む度に、一体の仏を造る思いをし、一句案じては秘密の真言を唱える心地がしている。

わたしは歌によって法を発見することが多い。
もしそういう境地に至らずに、みだりに歌を勉強する時は邪道におちいるであろう。」

西行はもともと伝説の多い人物です。

素晴らしい言葉ではあるものの、この言葉も実は後世の作り話と言われています。

とはいえ小説を読んでいると

「当然そのくらいのことは言っていただろうね」

と納得させられてしまうほどの強い説得力があります。

・2300首もの和歌が伝わり後鳥羽上皇から松尾芭蕉まで影響を与えた。

・鳥羽上皇に武士として仕えていたが高貴な女性(上皇の妃との説もある)との失恋をきっかけに出家。

・源頼朝に弓馬の道のことを尋ねられて「一切忘れはてた」ととぼけ、頼朝から拝領した品を通りすがりの子どもに与えてしまった。

虚実の間をすりぬけていくところに西行の魅力がある。
魅力があるからこそ伝説が生まれる。

保険治療でも、入れ歯はここまで治る

私も入れ歯を一つ作る度に一体の仏を造り、患者さんに説明する言葉は秘密の真言を唱えるがごとし…

そんな西行のように虚空な心で、何物にもとらわれぬ自由な境地で入れ歯を作れるようになりたい。

そこで当院はまず保険治療に特化することで、人間の最大の煩悩「お金」にとらわれないようにしているつもりです。

西行のように私も、入れ歯治療によって法を発見することが多いことは確かです。

発見した「法」についてブログやホームページ、YouTubeに少しずつ載せています。

西行の言うような境地に至らずに「法」を無視した歯医者が邪道におちいてしまうのは、昨今の歯科治療におけるトラブル事例を見れば明らかです。

とくに高額な自費治療は「自由診療」とも呼ばれますが実際にはちっとも「自由」ではありません。

まず高額である時点で様々な縛りが発生するからです。

たとえば住宅ローンみたいな一般的な高額商品がどれほど人を縛りつけるものかは、私たち歯医者のような世間知らずよりもあなたの方がよほど詳しいと推測します。

また自費治療自体の話は別のブログやホームページに書いたので、ここでは割愛させていただきます。

歯がないことを欠損といいます。
欠損とは何もない空間すなわち「虚空」です。

虚空を入れ歯という虹で美しく彩り、入れ歯という太陽で明るく輝かせる。

そのために歯科治療には様々な技巧を凝らします。

といっても、欠損という虚空に入れ歯を入れていることを患者さんが忘れてしまうくらい、存在を主張しないことが求められます。

理想の入れ歯の姿とは、普段は存在を忘れているけれど確実に温かく私たちを見守ってくれている、まさに如来のような存在。

すなわち入れ歯治療とは入れ歯を通じて
「口の中に極楽浄土を作ること」
とわかった次第です。

そんな西行に近づくためには、世の中のあらゆるものを「虚妄」と観じ、虚空の如き心をもって俯瞰する。

そうすることで虚も実も存在しない、西行の視点を手に入れられる。

そういう方法しかないと小説の著者は看破します。

西行から教わったことを活かして、そんな入れ歯が作れるようになりたいものです。

参考文献:「西行」白洲正子著、新潮文庫

保険治療で入れ歯のゆるさを解決

ところで別の小説に、舞台となる時代が全然違うのに西行とまったく同じ言葉が登場し、読みながらイスから飛び上がりました。

その小説とは「万葉集をつくった男 小説・大伴家持」(篠崎紘一著、KADOKAWA)。
鎌倉時代の西行からさかのぼること300年、奈良時代の話です。

「父、大伴旅人は歌の秘奥を伝授するとき、かく述べた。

『此の歌即ち是れ如来の真の形体なり。されば一首読み出でては一体の仏像を造る思ひをなり、一句を思ひ続けては秘密の真言を唱ふるに同じ、我れ此の歌によりて法を得ることあり。
若しここに至らずして、妄りに此の道を学ばば邪路に入るべしと云々。』

すなわち『一首、歌を詠みだすのは、一体の仏像を造るのと同じことぞ』
おのれの生命を削るつもりで作歌しろ、というのだ。」

大伴家持とは歴史に残る歌集「万葉集」の作者です。

すなわち
「一つ、入れ歯を作りだすのは、一体の仏像を造るのと同じことぞ」
ということ。

やはり入れ歯治療を志す身としては仏像彫刻をやらなきゃいけない気分になってきました。


…そのうちやろうと思います(汗)。

入れ歯治療の難しさ

入れ歯治療は患者さんの生活の質を大きく向上させるものです。
いっぽうでその難しさもまた大きなものがあります。

日本の歯医者の間では一般的には「保険治療の入れ歯は赤字」という論調が目立ちます。

入れ歯治療が困難で、保険治療でみんなやりたがらない理由を挙げてみます。

まずあまりにバリエーションが多すぎる患者さんごとの個性が挙げられます。

患者さんの口の中の構造、大きさ、上下の距離、歯の欠損の程度や部位、アゴの形や動き、粘膜の状態などは一人ひとり異なります。
これらの事柄に合わせて入れ歯を調整してフィットさせることは非常に細やかな作業を必要とします。

たとえば歯グキの粘膜の厚さや柔軟性、顎の骨の形状などに応じて入れ歯の歯グキと接する面や厚さを微調整する必要があります。
薄い方が違和感は少ないものの壊れやすくなるからある程度の厚さが必要とか、相反する要素をバランス良く成り立たせなくてはなりません。

次にとくに残っている歯が一本もないところに入れる総入れ歯の場合などに咬合(こうごう)関係を入れ歯で再現することが難しい点です。
入れ歯を使用する患者さんでは、天然歯の位置や咬み合わせが変わっていることも多いです。

そこで入れ歯を装着した状態で自然な咬み合わせを再現することが重要です。
しかしこれには複雑な技術を要します。

ある程度の教科書的な咬合関係の決め方はあります。
とはいえその教科書に書いてあることを口の中で再現すること自体が難しい。

それプラス患者さんの感覚や満足度などの主観も考慮しながら何度も調整を重ねることが大事です。

「教科書どおりやりました」
と歯医者が主張したところで患者さんが使ってくれなかったら失敗なわけです。

入れ歯の適合性も大きな課題です。

入れ歯が口の中に適合しない場合、痛みや違和感が生じるので患者さんが使用を続けることが困難になります。

たまに入れ歯を2組、3組持っているのは、そういう事情です。

これを防ぐためには入れ歯を作製して完成する前、加工が簡単にできるワックス床での試適段階で患者さんのフィードバックを細かく取り入れ、微調整を行う必要があります。

たとえば顔の正中と入れ歯の正中が合っているかなど模型だけでは判断できないので確認が必須です。

あとは現在使っている入れ歯と新しい入れ歯とで咬合関係が変わっていないかなども確認します。

また材料の選択も重要です。

患者さんに合った適切な素材を見つけ出すことは入れ歯の長期安定性や快適性を左右します。

とくにセラミックやチタンなど見目麗しく最先端の強度ある材料でも大事なことは「その患者さんに合う、合わない」です。

「お金をかけたのに入れ歯が合わない」とは、その辺のミスマッチがあります。

また多くの入れ歯が後から修理調整が必要になります。

長い目で見た場合、結局は修理調整、加工、改造がしやすい保険治療の金属バネとプラスチックが最適だったりします。

さらに心理的側面も無視できません。

入れ歯を装着することへの抵抗感や見た目の変化に対する不安など、患者さんの心理的な受け入れが必要です。

このような受け入れを獲得するために長い時間が必要ということはよくあります。

とくに入れ歯を入れると吐き気がする、などは、とにかく入れておける、極限の小さな入れ歯にして、何年もかかって適切な大きさに少しずつ大きく加工する。

そんな気の長い治療を要することもあります。

このため歯医者は患者さんの心理的サポートも担い信頼関係を築くことが求められます。

技術的な難易度もあります。

たとえば部分入れ歯の場合、残っている歯との連結部や、歯に引っかけて入れ歯を口の中に維持する装置(クラスプ)の設計、金属床の使用などには技術的な熟練度が必要です。

全部床義歯(総入れ歯)では上顎と下顎の両方の入れ歯が安定するように設計するのは非常に難しく、患者の満足度を高めるためには長年の経験と知識が必要となります。

また装着して終わりではなく、その後の維持管理も重要です。

入れ歯は時間と共に摩耗したり、口腔内の変化に対応して調整が必要になったりします。

患者が自宅で適切に管理する方法を指導し定期的なチェックや再調整の重要性を伝えることも入れ歯治療の一部です。

そして残っている歯が抜けたり入れ歯が
壊れたり、といった突発事項への迅速な対応も必要とされます。

このような治療は当院のもっとも得意とするところです。

最後にコミュニケーションの難しさがあります。

患者さんが自分の不満や痛みをうまく表現できない場合、適切な調整が遅れることがあります。

また、表現の壁や医療用語の理解度によって、治療計画やケア方法についての説明が難航することもあります。

これら全ての要素が組み合わさって入れ歯治療は非常に専門性が高く、患者の生活に直接影響を与えるため、技術的・心理的な両面から非常に難しいと言えるのです。

【関連記事】→「入れ歯の扱い方」