杉並区西荻窪で、入れ歯治療を数多く手がける
いとう歯科医院の伊藤高史です。
「へ~、伊藤ちゃんは入れ歯の人工歯を自分で並べてるんだー」
「ふ~ん、なんで、そんなことしてんのー、めんどくさいじゃーん」
歯科大学の同窓会で30年ぶりに会った同級生から言われました。
え、じゃあ、どうしてるの?
と逆に聞くと
「歯科技工所に丸投げー」
当然のような顔をしています。
確かに私のやり方は効率的ではありません。
入れ歯を作る手順とは
1.型をとって石こう模型を作る。
2.模型を元に上下の咬み合わせを見るためにワックスで噛んでもらう。
3.ワックスを介して上下の模型を咬合器という機械に取り付けて、下アゴが上下左右に動く動きを再現する。
4.ワックス上に人工歯を並べて患者さんの口の中に入れて歯並びを確認する試適(してき)。
5.歯科技工所に外注して完成させてもらう
この1~4までを当院では歯科医師である自分が全て行ないます。
1.の型をとる工程もアゴ骨が小さいとか難しい症例では、石こう模型を元にプラスチック製の個人に合わせたトレーを作って再び型をとることもあります。
もちろんそんなトレーも私は自分で作ります。
保険治療で入れ歯の作製
自分が20代のころに都心で勤務していた時代は1~4全ての作業を技工所に発注していました。
1か所だけ医院内に歯科技工所を持つ大手の歯科では、上司に言われて自分の患者さんの入れ歯の技工作業を全て自分で行ないました。
ただし他の先生は一切やっていなかったので、なぜ私だけ診療後に3時間残業して技工作業していたのかは謎です。
あまり長続きしなかった所なので嫌がらせのつもりだったのかもしれませんが、あまり深く考えずに受け入れたおかげで貴重な技術を身につけることができました。
だからまあまあ感謝するよう心がけているところです。
きっかけはさておいて、歯科医師が技工作業を行なう最大の利点があります。
それは入れ歯の歯並びを全て歯科医師が自分で考えて思い通りに並べられることです。
最近はchatGPTのような生成AIが話題になっています。
スマホに聞けば何でも答えてくれる、何でも作ってくれる魔法のような機械です。
しかしこの生成AIには大きな弊害があるといいます。
それは「生成AIに聞けばいいや」となることで人間が考える力を失ってしまうことです。
痛い入れ歯の調整の費用は保険治療3割負担の方で約1,000円~2,000円
こうした論調は様々な新聞や書物で見られます。
私独自の卓越した見解ではありません。
とはいえこの「人間が考える力を失ってしまう」弊害をすでに歯科医師は、だいぶ昔からこうむっている。
同窓会のちょっとした会話でしたが自分は危機感を持っています。
というより、もう手遅れです。
入れ歯作りを外注することは「生成AIに聞けばいいや」と同じで「歯科技工所にやらせりゃいいや」という発想だからです。
歯科技工士は現在なり手が少なく問題となっています。
歯科医師は歯並び一つ理解していないくせに、丸投げされて文句だけは言われる。
給料も安い。
そりゃ辞めたくなるというものです。
口の中にはたとえば歯並びの正中はココ、というある程度の指標があります。
石こう模型で見て、ある程度ここかな、という場所と角度で歯を並べます。
しかし模型だけでは顔の正中の位置や歯並びの角度などは分かりません。
模型上にそれを再現するのは不可能です。
だからいざ口の中に合わせると全然顔の正中とズレていた、角度が悪くて、ひん曲がった口元になっていた。
それで正中を3ミリ右にずらして角度を反時計回りに20度回転させた。
そんなことは普通にあります。
先ほどの1~4の工程の4.のことです。
試適(してき)といってワックスのボディに人工歯を仮に並べて口の中では歯並びを確認する作業が重要です。
そこで歯科医師が大いに考えて一生懸命に手を動かすことが必要です。
しかし「技工所に丸投げ」歯科医師では、どうして歯並びがズレたのか理解できません。
普段から手を動かしていないと、どうやって修正すれば良いのかも分かりません。
結果、患者さんから不満を持たれて、歯科医師は丸投げした技工士に不満をぶつける。
そんな事になります。
保険治療で、痛い入れ歯も調整できます
自分が入れ歯作製において歯科技工士に任せる仕事は次のことだけです。
「ワックスをプラスチックに置きかえること」
それは慣れない私がやるより純粋に数をこなしている歯科技工士の方が上手でキレイにできるに決まっています。
その単純作業だけが歯科技工所の仕事です。
だから入れ歯の合う合わないは全て歯科医師の私の責任です。
合わなかったら
「なぜ合わなかったのか」
「どうしたらもっと良い入れ歯ができるのか」
考えることにつながります。
だからこそ「一生が勉強」という当たり前の結論なのですが、そんな当たり前のことをせず歯科技工士にブースカ文句を言う歯科医師がいるのは事実です。
自分も20代のころはそんな歯科医師だったので自戒をこめて言っています。
昭和9年に開業した私の祖父は総入れ歯まで全部自分で作っていました。
ちなみにその時代はまだ歯科技工士に関する法整備がされていませんでした。
歯科技工法(現:歯科技工士法)が制定されるのは昭和30年です。
今とは比べものにならないほど歯科医師の社会的地位も収入も偏差値も高かった時代、祖父の「考える力」は歯科から溢れ出てしまっていたのでしょう。
診療していない日にはカメの甲羅を加工した硯を作ったり短歌をおさめた歌集を作ったり、今の私では太刀打ちできないことをやっていたのをうらやましく思っています。
これからも「考えること」を通して祖父に負けないような保険の入れ歯治療で患者さんに貢献していくつもりです。
参考文献:AIにはない「思考力」の身につけ方
ことばの学びはなぜ大切なのか?
今井むつみ著、筑摩書房
歯科技工士、減少問題について
歯科技工士の減少問題は日本国内の歯科医療分野において、ずいぶん前から課題となっています。
この現象の背景には様々な要因が絡んでいます。
まず教育と養成の面から見ると歯科技工士の養成校の入学者数が近年大幅に減少しています。
これは若者の間で歯科技工士という職業への関心が低下していることを示しています。
たとえば養成校の入学者数は過去30年間で4分の1にまで減少していると報じられてました。
これは先の文章で挙げたような歯科医師のワガママ、長時間労働や低賃金などの労働環境が改善されないことで職業としての魅力が薄れていることが原因として挙げられます。
労働環境の問題もあります。
歯科技工士は従来から長時間労働と低賃金が指摘されています。
私が勤めていた歯科医院の院内技工所も夜8時9時まで働くのが当たり前でした。
これは保険点数の都合で技工料が上がらず数をこなさなければならないため労働時間が長くなる傾向があるからです。
歯科技工所の経営が厳しい中で技工士の待遇改善が遅れている状況が見受けられます。
とくに保険治療の技工はやらない、という技工所も近年は出始めています。
またブラックな労働環境が問題視されることで既に資格を持っている人々が現場から離れるケースも増加しています。
離職率が高いのも特徴です。
入れ歯に歯科専用の入れ歯安定剤を貼る治療の費用は保険治療3割負担の方で総額約2,000~4,000円
さらに、技術の進歩と需要の変化も無視できません。
デジタル化が進んでCAD/CAM(コンピュータ支援設計・製造)システムなど新しい技術が導入される一方で、これらの新技術に対応できるスキルを持つ歯科技工士の供給が追いついていないという現状があります。
またCAD/CAMの機械があれば技工士がいなくても、かぶせ物なら作れるようになりました。
また歯科医療の需要自体は高齢化社会を背景に増加傾向にあって歯科技工物の質や量に対する要求も増えています。
しかし技工士も高齢化が進んでいることもあり量をこなすことが難しくなっているため一人あたりの受注量が減っている状況もあります。
政策や制度の対応も課題で歯科技工士の養成・確保に関する検討会ではこうした問題を取り上げています。
しかしせいぜい保険点数アップを要求するくらいで、具体的な解決への対策が十分に進んでいるとは言い難い状況です。
最後に社会的な認識の問題もあります。
歯科技工士の職業的な地位や重要性が一般に十分に理解されていないことも若者の志望を阻む要因となっています。
確かにマイナーな職業です。
昔、私の父の時代は歯科医師とともに羽振りが良かった時代もありましたが、もう昔ばなしです。
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